【要旨】日本語を勉強する人が増えるに従い、中國で日本語教授法に関する研究も多くなるが、これまで、學生の「読む」、「書く」、「訳す」という技能を重んじる教師は多かった。言語は本質的に音聲であるので、「耳」から「口」への訓練を重視すべきだ。本稿は言語の本質から出発し、教材の選択及び學習活動の主體も論じながら、日本語教授法について述べるものである。
【キーワード】日本語教授法;言語;音聲;教材;學生
一、言語の本質及び聴くと話すことを優先する原則
言語の本質とは何であろうか。ヨーロッパで成立した近代言語學では、人類の言語の本質は音聲であるとされている。それに、音聲は言語音と非言語音に分けられる。非言語音とは、うめき、咳の聲、咆哮など、単位に分けられないものを指す。一般的に、音聲言語という場合、言語音を中心に考えている。つまり、言語の本質は、人類が意識的に発音器官を使って発する意味のある音聲である。
日本語教授法には、聴くと話すのが學習の先頭に立つという原則がある。この原則は言語の本質を基にしたものである。普通、人間は文字、絵畫などの視覚的記號を先に受け取る傾向がある。しかし、言語の本質は音聲なので、聴覚的記號を重視しなければならない。
言語を電波に例えると、聴くとは受信する過程で、話すとは発信する過程である。その中で、聴くという過程は言語活動の非常に重要な一環だと言える。周知のように、聴覚障礙者の多くは、話すこともできない。彼らの大多數は、知能と発音器官が健常者とほとんど同じだ。しかし、耳が聞こえないため、外界の音を感じられなくて、言語のまねができない。このように、ほかの人が話したことも、自分の話したことも聞こえず、月日の経つうちに、口のきけない人になってしまったのである。この例から、言語の學習における「聴く」ということの重要性が明らかに見られる。
「聴く」能力を訓練するには、「聞き取り」の練習はいい方法である。日本語を勉強し始める時、教科書の本文の録音を聴いたほうがよい。録音を聞きながら、本文を復唱すると、耳と口は両方とも訓練される。初級日本語の基礎を備えた後、毎日新しい音聲資料を利用し、「聞き取り」の練習をすれば、聴解の能力が向上できる。また、言語活動の「話す」という過程も非常に大切である。「話す」ことによって、自分の表したい意味を他人に伝える。「話す」の最初の目標は、日本人が聞いてその発話意図が分かるレベルである。もちろん、まず「発音の正確さ」を強調する教師がいる。けれども、「正確な発音」という意識が強すぎるあまり、厳しい矯正によって學生の自信と學習意欲を挫く恐れがある。だから、最も合理的なのは、學生の能力によって矯正の程度を決めることだ。
前述したように、「話す」の最初の目標は、発話意図を相手に伝えることである。一歩進んで言えば、「正確な発音」より、「流暢な話」の方が、もっと大切だろう。なぜかというと、人がゆっくり、切れ切れに話したり、言い直しが多かったりすれば、相手は話を続ける気がなくなるからだ。それゆえ、學生の話の流暢さを向上させることも、教師の責任である。
二、教材の選択とマルチメディアの使用
教育の目的を達成するために、まず適當な教材を選ぶべきである。実用的かつ効果的な教科書を選択すれば、正しい方向に向かうので、回り道を避けられる。そのほか、「実物教材」も歓迎される。実物教材とは、語學教育のために開発された教科書ではなく、社會で母語話者へ情報を提供するために作られている「雑誌」、「新聞」、「ラジオ?テレビ番組」などを教材として使ったものだ。日本語の場合は、「毎日新聞」、「NHKニュース」、「NHKスペシャル」などはよい教材である。
現在の日本語學習者が有利な勉強條件に恵まれている。インターネットのおかげで、いろいろな資料を調べることができる。自宅に居ながらにして、さまざまな學習材料を簡単に手に入れられる。インターネットから入手した実物教材を使うならば、現在使われている語彙、表現が學べるだけでなく、日本事情の勉強にもなる。
授業中にマルチメディアを使用する教師もだんだん多くなってきた。伝統的な教授手段に比べて、マルチメディアを用いた教授手段は、能率が良く、情報量が多いというような利點がある。それと同時に、教師への要求も一層高くなってきた。今のところ、日本語教育には、既製の統一的なマルチメディア教材はほとんどない。多くの場合、教師が授業の目標と內容によって、自分でマルチメディア教材を作る。文字、音聲、映像などをいかに処理すべきか、このような問題を真面目に考えなければならない。教師がまずコンピューターと各種のソフトウエアの使い方を身につけるべきだ。ある意味で、マルチメディア教材を作ることは、教師にとって一種の挑戦だとも言える。
三、學習活動の主體
學生はいつまでも學習活動の主體である。だから、授業中、學生の反応に注意を払って、講義を進めるべきだ。また、日本語専攻と非日本語専攻の學生に対する教授法は異なっている。日本語専攻の學生は將來、仕事あるいは研究のために語學を身につけるので、聴く、話す、読む、書く、訳すという各方面の能力をマスターしなければならない。もし學校から卒業すれば、すぐ仕事を始めることができる。教師はこのような即戦力のある學生を育てるためにコース?デザインを作成する。
一方、非専攻の學生は「興味」のような原因で日本語を勉強するケースが多い。たとえば、日本のアニメとゲームが好きだから、日本語を勉強するのだ。このような學生は耳がよく日本語を聴くので、「聞き取り」の能力は弱くない。それに、日本語の中で漢字が多いから、たとえその発音ができなくても、文字を見てだいたい意味が分かる。非専攻の學生の問題は、學習時間が短く、練習が足りなく、話す力が弱いということである。この時、教師は「話す」練習を強化したほうがいいのだ。
結び
教師はガイド、モデル、仲間などの役割を擔っている。ただ知識を學生に教えるだけでなく、學生の心理を管理し、學生の不安を取り除くのも教師の責任である。授業を始める前に、アンケート調査を行って、學生の性格及びニーズなどの情報を得る。その情報を分析し、ふさわしい教授法を決定することができる。また、日本語の勉強は長期的な過程で、根気よく続けなければならない。何といっても、授業の時間は限りがある。どのように授業以外の時間を利用し、日本語を勉強するか、これも教師が學生に教えるべきことだ。
教授する過程において、以下三つの原則を徹底的に実行しなければならない。即ち、聞くと話す技能を優先する、學生と學習を中心とする、言語の練習と実踐を主とするという三つの原則である。教師は時代の波に乗って、発達しているコンピューター、インターネット、マルチメディアを利用し、日本語教育に協力させる。そうすると、現在の情報化社會では、きっと多くの優れた日本語人材を養成できると思う。
【參考文獻】
[1]工藤浩(他編).日本語要説[M].ひつじ書房,1993.
[2]高見澤孟,黃文明.日語教學法入門[M].外語教學與研究出版社,2009.
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