徐思思
【摘要】日本語(yǔ)には男ことばと女ことばがある。性によって言語(yǔ)づかいは違っていることである。社會(huì)言語(yǔ)學(xué)の面から、ことばの男女差がどのように変わるか探した。
【關(guān)鍵詞】男ことば 女ことば 性差 言語(yǔ)差
日本語(yǔ)には男性がよく用いる言葉と女性がよく用いる言葉がある。それを「男ことば、女ことば」と呼んだりする。「私」という意味を表わす語(yǔ)を例として、日本語(yǔ)にはいろいろある。たとえば、「あたし」「俺」「僕」「うち」などである。そして、「俺」「僕」というような言葉は女性がほとんど用いない。それで、日本語(yǔ)には女性がよく用いる言葉は男性がよく用いる言葉と違っていることが分かる。『社會(huì)言語(yǔ)學(xué)』の中で、
男女の間で使用することばに相違が見(jiàn)られることは、日本語(yǔ)の一つの特徴であると思われている。會(huì)話における日本語(yǔ)は、、文字にした場(chǎng)合でも、話し手が男性であるか女性であるかが分かるのがふつうであるとされる。
(『社會(huì)言語(yǔ)學(xué)』 おうふう 一九九二年)
のように、述べている。
しかし、男ことばと女ことばとはどんなものかはっきりとした定義はない。「漢語(yǔ)に基づいた、仰々しくぞんざいで粗野な印象を與えることば」を男ことば、それとは対照に、「和語(yǔ)に基づいてやわらかく丁寧なことば遣い」を女ことばの定義とする學(xué)者がいる。そして、
標(biāo)準(zhǔn)的規(guī)範(fàn)の方向へ向けての変化の度合は女性の方に比較的高いことが明らかになっている。一方、最近各地で新しく発生しつつある、いわゆる新方言と呼ばれる形式のうち、特に、文體的に低く、改まった場(chǎng)面では使いにくいと意識(shí)されているものについては、圧倒的に男性の方に使用度が高いことが指摘されるのである。
(『社會(huì)言語(yǔ)學(xué)』 おうふう 一九九二年)
上のように主張している學(xué)者もいる。
実は、次の言ったとおり、男ことばと女ことばをはっきり分けるとは限りない。
日本語(yǔ)の場(chǎng)合、男女ことばで共通する部分は多く、終助詞や美語(yǔ)化の変化で、男女ことばを差異化していた。(中略)「男性はXという話し方、女性はYという話し方」という二項(xiàng)対立的な捉え方は、あまりにも単純化された見(jiàn)方であるといえる。
(「男ことば·女ことばとジェンダー」飯野公一など くろしお出版 二〇〇三年四月)
なぜかというと、「女ことば」は死滅の道をたどっているのに対し、「男ことば」はまだ多くの男同士に用いられていることからである。しかも、「女ことば」の使用者はある年齢範(fàn)囲內(nèi)にしか用いられていない。つまり三〇代を境にそれ以上の女性は「女ことば」を使用するのに対し、それ以下の女性は「女ことば」の使用が少なくなるとはいえる。これに対して、「男ことば」はまだ幅広い年代の男性に用いられていることが確認(rèn)された。
ことばの男女差は年々縮まる傾向にある。男女雙方が歩み寄って用語(yǔ)や表現(xiàn)が中性化しつつあるというよりも、基本的な流れとしては、女性専用の語(yǔ)がすたれ、これまで男性が主として使ってきた普通のことばを、男女共通のことばとして、女性も自由に使うようになってきている、という現(xiàn)象と受け止めてよいであろう。
(『日本語(yǔ)概説』加藤彰彥 桜楓社 一九九〇年二月)
上の言ったように、最近女性の言語(yǔ)使用域が広がっている。
このようにすると、日本語(yǔ)の性差があるかどうかという疑問(wèn)をもつかもしれない。この問(wèn)題について、検討している學(xué)者が多くいる。たとえば、
男性、女性に対する固定的な役割期待が薄れ、男女雇用機(jī)會(huì)均等法をはじめ制度面においても男女差をなくそうという社會(huì)全體の傾向のなかで、ことばの面でも男女差をなくそうとする動(dòng)きが目立ってきたようにうかがえる。男性が男ことばを、女性が女ことばを使うという枠組み自體消失していく可能性さえある。「男らしさ」「女らしさ」をことば遣いのうえで強(qiáng)制されてきた時(shí)代から開(kāi)放され、ジェンダーレスな社會(huì)へと変遷していくのであろうか。
(「男ことば·女ことばとジェンダー」飯野公一など くろしお出版 二〇〇三年四月)
のようなものがある。そして、インターネットで、
男ことば、女ことば、という性による下位文化の言語(yǔ)差もかなりちぢまってきたようである。もちろん、日本語(yǔ)が男女差ゼロのところまできた、というわけではない。男女差は、たとえば語(yǔ)尾などに生きている。しかし、ひとむかしまえにくらべると、男の使うことばと女のことばと、かさなり合う部分がかなり大きくなってきたようである。男ことばが女性化したのか、女ことばが男性化したのか、あるいは、男女にとらわれない中立的なボキャブラリーや語(yǔ)法を人びとが意識(shí)的にえらびとっているのか、その経緯はよくわからない。たぶん、それらが互いにむすびあって一種の中性的な言語(yǔ)をつくりあげたのであろう。そして、たとえば、英語(yǔ)などに男ことば、女ことばがないのとおなじように(英語(yǔ)でも、女性が使ってはならないとされていることばはいくつかあるが)、遠(yuǎn)からぬ將來(lái)に、日本語(yǔ)もまた、性による言語(yǔ)差のほとんどない言語(yǔ)になってゆくのかもしれないのである。
上のようなものを探した。これから、ことばの男女差がどのように変わるか分かると思う。
參考文獻(xiàn):
[1]加藤彰彥.『日本語(yǔ)概説』(桜楓社 一九九〇年二月).
【基金項(xiàng)目】本項(xiàng)研究成果受到天津市教育科學(xué)“十三五”規(guī)劃課題“天津市外語(yǔ)類慕課質(zhì)量評(píng)價(jià)體系研究”(課題編號(hào):HEYP5027)的資助。